奇妙な出来事


 山登りを続けていると、たまに不思議な出来事に遭遇することがあります。どうにも腑に落ちない、首をひねらざるをえない奇妙な出来事。単なる錯覚だと思ってみたり、信じられない行動をする人も時にはいるからなと思ってみたり、と自分でも、一応常識的な分析を試みるのですが、いまひとつ、しっくりこない。なにかが違う。どこかが違う。でもその「なにか」がなんなのか、その「どこか」がどこなのかを明確に説明できない。かといって、すぐに心霊現象と結びつけて考えてしまうのも、これまた抵抗があるのです。
 ですからこういう話を他人にすることは滅多にないのですが、ごく希に山小屋で一緒になった人とそんな話をしてみることがあります。すると、どうもこういうことは人によって様々のようで、「数十年の登山歴のなかで一度もそういう事に出会ったことはないな」という人がいるかと思うと、逆に「山ではよくあることだよ、普通のことだ」という人もいて、一体どっちが本当なんだろうかと思ってしまいます。なかにはそんな話をはじめた途端にすっと席を立ってしまう人もいたりして、それはそれでなかなか面白いものではありますが。
 私が経験したものはどれも、よく世間で恐怖譚として語られるようなおどろおどろしいものではなく、実に他愛のないものばかりなのですが、まあ、ゆっくりしていって下さい。これも山の持つ魅力のひとつ・・・かも、知れませんよ・・・・。


1.富士見平で聞いた女性の声
2.飯森山での写真
3.立山の四人組
4.二人づれ
 
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1.富士見平で聞いた女性の声
 
 それは五月の下旬に奥秩父の金峰山(きんぷさん)に登った時のことでした。
 奥秩父というのは東京、埼玉、山梨、長野の四県にまたがった東西に伸びる山域で、その山域の西にある金峰山への登山口は山梨と長野にあります。
 当初は、山梨の瑞牆(みずがき)の登山口から金峰山に登り、北東に位置する甲武信岳(こぶしがたけ)まで縦走してから十文字峠を経て長野側に下る二泊三日の予定だったのですが、車で瑞牆に向かっている途中にカーラジオの天気予報でその日と翌日、さらに翌々日まで雷注意報が出ていることを知り、縦走は止めて日帰りにしようかと迷っていたのでした。
 車のフロントガラスを通して青空が広がり、正面に見える山の上空に銀白色の雲が細長く伸びている程度で、むしろ初夏の爽やかさに充ちています。『これで雷注意報?ホンマかいな』と思いましたが、天気予報はそう告げていました。
 
 やがて車は瑞牆の駐車場に到着しました。ガイドブックによれば瑞牆山荘の前に五、六台が駐車できるスペースがあるとのことでしたがいざそこに着いてみると、山荘の近くに林を切り開いて作られた異常に大きな駐車場がありました。この駐車場は百台ほどの車を停めることの出来る全面が舗装された駐車場で、あとから知ったことですが何年か前にこの近くで植樹祭が行われたさいに作られたもののようでした。早朝のためか僅かに数台の車が停まっているだけです。
 車から降りると、長袖のシャツを着ていても身が引き締まるような清涼感に充ちた空気に包まれました。軽く伸びをし、近くの石垣に腰かけて煙草に火をつけました。何という鳥かは判りませんが小鳥たちの囀りが、この駐車場の周りを囲んだ樹々のなかから聞こえて来ます。
 
 煙草を一本吸い終わるとそれまで履いていたスニーカーを登山靴に履き替え、車の後部座席に置いたザックを担いで歩きだしました。
 初めのうちは緩やかだった登山道は次第に傾斜がきつくなり、早くも休みたい衝動にかられ、しかしまだ二十分も歩いてないぞと自らを叱咤しながら歩き続けます。林道を横断し、土止めの丸太で作られた階段を登り、今が満開の山桜のピンクの花につかのま苦しさを忘れ、途中の休憩所のベンチも横目で見ながら登山口から小一時間ほどで富士見平に着きました。
 ここで道は二手に分かれ、左に向かうと瑞牆山、そのまま進んで行くと金峰山へ向かいますが、兎に角今はここで休憩です。
 時刻は八時半。朝の光が、山の斜面を背にして建つ山小屋とその周囲を照らし、管理人の常駐していないこの富士見平小屋も、テントひとつ張られていないテン場にも人の気配はまるでなく、ただひっそりと静まり返っていました。
 
 十分ほどして、再び歩きだしました。小屋の前を通り、尾根筋を飯森山に向かって登りだすと、直径四、五十センチほどの白い塊りが山の斜面に張りついているのを見つけました。よく見るとそれは五ミリくらいの大きさの雹が幾つも集まってできた塊りでした。地面や葉の上に落ちた雹が転がって一ヶ所に集まって出来たそんな塊りが、あちこちにあったのです。まだ雹の丸い形が残っているところを見ると昨晩か今朝方にでも降ったのでしょう。
 やはり天気予報は正しいかもな、と思いながら登り続けていると、上の方から声が聞こえてきました。六十代と思しき女性の三人組が大きな声で喋りながら降りてきます。彼女たちと挨拶を交わし、ついでに立ち話をすると彼女たちは、
「昨日は金峰山小屋に泊まったんだけどね。夜には雪が降ったんだよ。雷は鳴るし、怖くてねえ。だから今日はイの一番で降りてきたの」
 なんと言っても天気予報は正しいようだ。上空に寒気が入りこんで、大気が不安定になっているようだ。
 彼女たちと別れて鬱蒼とした飯森山の林の中を歩きながら、そう思いました。
『今回の縦走はやっぱり中止だ。日帰りにしよう』
 
 飯森山の林が終わり、樹木の途切れた大日岩の横を通り過ぎると登山道は再び林のなかを歩きだします。そして富士見平小屋から二時間余りでようやく樹林帯を抜け、千代の吹き上げという岩場にきました。視界が開け、岩がむき出した稜線が金峰山の山頂まで波打ち、その山頂の手前には高さがゆうに十メートルはありそうな巨大な岩−五丈石が稜線の上に小さく飛び出ています。八ヶ岳や南アルプスの蒼い山並みも見えています。朝方よりは大分雲が多くなって来てはいるもののまだ半分以上は青空も見えます。
 隠れる場所の少ない岩綾地帯では、雷は非常に危険なのですが積乱雲らしい雲は見当たらず、雷鳴も聞こえてこないので多少の不安を抱きつつも歩いていきました。先ほどのオバチャン達が言っていた雪が残っている岩陰もあります。
 岩場の登り降りを繰りかえしながらおよそ一時間で金峰山頂に到着です。ちょうど十二時でした。山頂では既に三人の人たちが休んでいましたが、誰もが長野側から登ってきたようでした。一人は初老の単独行で、残りの二人は若いカップルです。
 ザックを降ろし、たった今通り過ぎてきた五丈石を写真に収め、それから八ヶ岳や茅ヶ岳、甲武信岳と次々に写真を撮っていると初老の男性が写真を撮ってくれと頼んできました。
「いいですよ」と私がそれに応じると、今度は彼が「撮りましょう」と私の写真を撮ってくれました。
 体が冷えてきました。いくら五月下旬の晴れたお昼どきとはいえ、さすがに標高が二千六百メートルもあるとかなり冷えます。おまけに上空には寒気が入りこんでいるようだし・・・。
 汗に濡れた長袖シャツの上にヤッケを着て、サンドイッチを頬張りながら空を見ると、白い雲が広がりながらも流れて行きます。その雲の下に周囲の山々が聳えていました。少し離れた場所で休んでいる若い二人の控えめな声がよく聞こえてきます。
 しばらくすると単独行の人が、
「じゃあ、どうも」と言って長野側に下って行き、それから少し間をおいて若いカップルも同じように長野側に降りていくと、急に周囲の温度が下がったような気がしました。
 
 四十分ほど休んで下山を開始することにしました。さっきの三人が降りてしまってからは、誰も山頂にやって来ないし、何よりも寒かったからです。
 私は一人、午前中と同じルートを辿りました。再び岩場の登り降りを繰りかえし、千代の吹き上げから樹林帯に入り、大日岩を過ぎ、飯森山の林のなかを通る道も終わって、ようやく富士見平小屋へ下る尾根道まで来ました。時刻は三時半ごろ。左側は開けていて、陽光が樹々の葉やまだ茶色の草を照らしています。私は足下を見ながら下っていました。
 と、その時です。
 突然、女性の笑い声が、私の右のすぐ耳元で聞こえました。
 いや、それは話し声のようにも思え、何やら判然としない極めて曖昧な声が一瞬、聞こえたのでした。
『うん?』
 もちろん私の前後には誰もいません。しかし、山では遠くの話し声がすぐ近くに聞こえたりすることは決して珍しいことではないし、いくら樹々に囲まれている道とはいえここは周囲より高くなった尾根筋の道です、これはきっと瑞牆山から降りてくる女性の声が聞こえてきたんだ、と歩きながら思いました。あるいは既に小屋で休んでいる女性かも知れない。
 そして五、六歩ほど歩いてから立ち止まり顔を上げると、向こうの、横に枝を伸ばした木の葉のなかに女性の左の横顔が見えました。その横顔は明らかに瑞牆山から下山する方向です。
『やっぱり、瑞牆山から降りてきたんだ』
 今日は朝方に擦れ違った三人組と山頂で会った人たち以外は、誰の姿も見ていない。ということは朝、駐車場に停まっていた数台の車は、朝方の三人かあるいは瑞牆山への登山者のものだったんだ。それに瑞牆の登山口から女性が日帰りするなら金峰山ではなく瑞牆山だものな、と大して気にもせず再び降りだしたのでした。
 そして数分の後、富士見平小屋の赤い屋根が眼下に、生い繁る枝や木の葉のあいだから見えてきた時、
「あれっ?」
 思わず声を出してしまいました。
『さっきの女性の顔は、小屋の屋根より遙かに高いところに見えた・・・』
 登山道の関係でそう見えるんだろうか、とも思いましたが瑞牆山への登山道は、分岐からは殆ど平らな道となり、小屋の背後の尾根筋の裏側を通っているため、さっきの場所からでは山の蔭になり、登山者の姿は見える筈はないのです。それなのに女性の横顔が、見えた。しかも女性の声はあのとき一度きりで、その後はもう何も聞こえてこない。なんか、とても不思議な気がしましたが、兎に角そのまま降りていきました。
 
 富士見平小屋に到着しました。小屋やその周囲は、既に黄色味を帯びた午後の光が溢れ、静まり返っています。女性の姿どころかその声さえ聞こえてきません。単独行の人が一人で笑ったり、喋ったりするわけはないので当然、複数の人間がいるはずだが・・・。
 普通ならここで休憩をするところですが、だれもいないところを見ると休まずに下っていたようです。さっきの声の主を確かめたくて私もそのまま下ることにします。下る前に瑞牆山への道を覗いてみましたが、小屋の屋根より高い位置に人の姿が見える筈もありませんでした。
 仮に彼女が登山道のない小屋の裏の斜面に登っていたとしても、さっきの距離感からすると、あの女性の声はもっと聞こえてきてもいい筈だし、ここからの下りならば見通しは良いので姿を見ることも充分可能です。私はいささか足を早めて降りて行きました。しかし、あたりはしんと静まりかえったままで二度とその声を聞くことはなく、その姿を見ることもなく四十分足らずで登山口に着いてしまったのでした。もちろん登山口に人影はなく、車の音も聞こえて来ません。何だかはぐらかされたような気分で、まわりの高い木立がすっかり影を落としたアスファルトの道を駐車場に向かいました。時刻は四時半、静かでした。
「キーッ」
 突然、黒々と影になった木立のなかで、鳥が鋭い声をひとつ、あげました。そして、その声が虚空に吸いこまれてしまうと、静寂はさらに深まりました。
 
 駐車場には私の車だけが取り残されていて、もう他の車はありません。車の後部座席にザックを投げ入れ、登山靴をスニーカーに履き替えてから車のエンジンをかけました。その時ふと思い出しました、女性の顔が見えたとき、体はまったく見えていなかった。体が見えないほど葉々が重なって繁っていたわけではないのに・・・。
 ただの錯覚だったのかな。首を傾げつつ車をスタートさせました。
 
 それから何ヶ月も経ったある日、富士見平小屋にまつわる忌まわしい事件(若い女性が非業の死を遂げた)を偶然にも知ることになりました。そして今から二十年以上も前の一九八三年に起きたその事件の詳細を何度か読み返しているうちに、記憶の底からゆっくり、ゆっくりと蘇ってきたのです。
「ああ、自分もそのニュースは聞いた憶えがある」
 そう当時、その事件の発生としばらく後の犯人逮捕のニュースを実は、自分も聞いたことがあったのです。しかしその頃は山をやっていなかったので非道い事件だ、という以外は大した関心もなく、それが何処で起こったのかも判らずに、すっかり忘れていたのでした。
 
 話はこれで終わりです。この富士見平での体験が一体何だったのか、今でも判りません。私が聞いた声、木の間越しに見た女性の顔は単なる錯覚だったのだろうかとも思います。あるいは記憶の底に沈んでいたこの事件が、三度目にして(過去に瑞牆山、金峰山にそれぞれ一度ずつ登ったことがあるので、ここを通るのは今回で三度目だった)ようやく意識の手前まで浮かび上がってきて、無意識がその事件の記憶を連想ゲームのように女性の声や顔に形を変えて私に思い出させたのだろうか、と考えたりもします。
 本当のことは何も判りません。この出来事を客観的に証明することも不可能なことです。ただ、ふと思うことがあるのです。
 もし本当に霊というものがいて、二十年以上もたった今もそこに彷徨っているとしたら・・・余りに哀しい話ではないか、と。
 
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2.飯森山での写真
 
 これもやはり金峰山に登ったときのことです。
 初めて金峰山に登ったときは大変ガスが濃く、周囲の山はまったく見えず、それどころか森のなかにもガスが漂う何とも陰鬱な日でした。
 前項にも書いた通り、瑞牆から金峰山に登るためには飯森山の裾を巻いている森のなかの道を歩かねばなりません。
 ただその時の私は、陰鬱な森の道よりも途中で見かけた「熊に注意」の看板の方が、よほど気になっていました。熊除けの鈴も持っていないし、携帯ラジオもありません。私は仕方なく歌を唄おうと思いましたが、こういう場所に相応しい歌が思い浮かびません。
 サザンの曲・・・激しい違和感。
 アルプス一万尺・・・樹木に囲まれているのに岩場での歌はそぐわない。
 いつかある日・・・・縁起でもない。
 ムーミンの主題歌・・・誰かに聞かれたら滅茶苦茶、恥ずかしい。
 
 などと下らない事を考えながら、鬱蒼とした森のなかを歩いていました。飯森山の裾が、左から右に向かって流れている斜面を横切るように作られた登山道です。と、ある場所に差しかかったとき何を思ったか急に写真を撮ろうと思いました。何の変哲もない、苔に覆われた山肌に樹木が沢山茂っているだけの斜面です。そして好い加減に一枚だけ写真を撮ると気が済んで、再び歩きだしました。
 やがて樹林帯を抜けるとガスで真っ白になった稜線に出ました。真っ白な中を山頂まで歩きましたが、面白くないこと甚だしい限りです。山頂で昼食を取っただけでそそくさと戻ることにしました。余りにも面白くないので途中、まだ岩綾帯を歩いているときに磁石を取りだし、東京の方向を確認してからそっちへカメラを向けました。もちろん真っ白なガスしか見えていないのですが、これは「東京ガス」という駄洒落でした。
 
 家に帰って早速デジカメの写真をパソコンへ取り込んでみました。その写真を一枚一枚じっくりと見ながら進んでいくと、飯森山の森の中で撮した写真がモニターに表示されました。鬱蒼と繁る樹々のなかに水色の丸いものが一つ、見えています。他の写真にはその水滴のようなものはありません。
 森の中だから、頭上の枝から水滴が落ちたのかな。ガスも濃かったし・・・。
 そう思って、気にもしていませんでした。
 
 それから大分経って、あらためて写真を見直していたときの事です。何となくその水滴のようなものが気になり、その画像をモニターに等倍表示させてみました。
 よく見ると、その水滴と思っていたものからは左に向かって、黴の胞子が伸びたような細い脚が何本も写っているのです。その姿はまるで海にいるクラゲを連想させましたが、しかし空中に浮いています。それに水滴にしては、大きすぎる。
 初めて金峰山に登ったときにこの写真を撮り、そして二度目に金峰山に登ったときに、この写真を撮った近くで、女性の声を聞き、横顔を見たのでした。
 正直なところこの正体は、さっぱり判りません。そしてこの二つの出来事が関係あるのか、どうかも。
 これは一体、何なんでしょうか。
 
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3.立山の四人組
 
 北、東、南と三方を山でかこまれた立山の室堂平には、たくさんの道があります。
 室堂平の観光の中心である「みくりが池」という池を周遊している道。「みくりが池」から北の雷鳥平に百五十メートルいじょうも下る道。西の天狗平にくだる道、その途中には水平歩道とよばれる道が北にむかって伸び、地獄谷を経てやがて雷鳥平につながります。それから、標高が二百メートルも高い東にある一の越に登る道やさらに南の室堂山へ登る道。
 じつに多くの道がありますが、そのなかに一の越と雷鳥平を直接むすぶ「神の道」とも「母恋坂」とも呼ばれる道があります。
 一の越のすぐしたにある分岐から立山の南と西の斜面に沿ってゆるやかに下り、そのなかほどからは立山を離れ、浄土川にそって雷鳥平に下る、最後に丸山というこんもりとした小さな山をとおっていく道です。標高差にして三百五十メートル以上はあるでしょうか。浄土川はやがて称名川となり、さらに常願寺川と合流して富山湾にそそいでいます。
 みくりが池をまわる遊歩道や、立山登山の中継点である一の越へいたる道は、メインルートとも呼ぶべき道で、おおくの観光客や登山者でにぎわっていますが、この一の越−雷鳥平の道は利用する人がほとんどなく、とても静かな道です。
 
 八月のある日、私はその道を歩いてみました。まだ午前十時前のことです。
 その道があることは以前から知っていて、六月に訪れたときにその道を歩いてみようと思っていたのですが、雪で埋もれていて分岐点が判らず、なによりも山裾を歩くため雪崩が怖くて諦めたことがありました。
 ところが八月に一の越に向かって歩いていたときにたまたま分岐点を見つけ、とくに雷鳥平に行く予定はなかったのですがその道を歩いてみたい衝動に駆られ、そっちに折れていったのでした。
 初めのうちは緑の這松に縁どられた岩だらけの広い場所を通りますが、十分ほどで灌木や草の生い茂る斜面をほそく通るなだらかな土の登山道に変わります。
 今日は室堂周辺を散策してから帰途につく予定だったので、のんびりとその道を下っていきました。途中「ボッカ道」と書かれた標識が立っています。この道はたしか富士の折立(立山の北端)あたりに出るんではなかったか、とガイドブックに書いてあったことを思い出しながらゆっくりと歩きました。
 室堂平から一の越へ向かうメインルートで、小学生らしい男の子が何度も何度も「ヤッホー」と叫んでいて、正直なところ『やかましいな』と思いましたが、はじめて触れる山岳風景に彼の気持ちも高揚しているのでしょう。
 立山の西の斜面に入ったためここらは日陰となっていましたが、空には雲が多いもののところどころに青空も覗き、じゅうぶんに明るい空でした。
 見通しのいい道で、前方に人の姿はなく、後ろから話し声が聞こえてくることもなく、谷の向こうの観光客のはしゃいだ声さえなければ、ほんとうに静かな山歩きです。
 
 三十分も歩いた頃でしょうか−−−ここらあたりになると観光客たちの喧噪はまるで聞こえては来ず、とても静かでした−−−私は何げなく後ろを振りむいてみました。別に話し声や足音など人の気配が感じられたからではありません。ただ余りに静かで、人の姿を誰一人として見ることもなかったので、メインルートの賑わいとのあまりの違いに信じがたい思いで、振り返ったのでした。
 すると、十メートルほども後方に、四人連れのパーティがこちらに向かって歩いていました。皆、六十歳前後の感じで、先頭は真っ白な髪をまんなかで分け、紺の長袖シャツを着た背の高い男性、両手にストックをにぎっています。しかし俯いているためか、顔がよく見えません。続いて先頭の人に隠れてはいるもののやはり男性、その後ろに女性が二人続いていました。先頭の人以外はみな帽子を目深にかぶっていて眼のあたりは見えません。三人目の女性が背負ったザックのいささか色褪せた赤が印象的でした。
「あれ、いつの間に・・・」
 彼らに挨拶をしようかと思いましたが、皆が皆、真剣な表情で俯いて歩いているのを見ると躊躇してしまいました。距離もちょっとあるし。
『すぐに彼らの方が追いついて来るだろうから、そのときに挨拶すればいいか』
 そう思って、さらにゆっくりと歩きだしました。
 歩きだしましたが、やはり背後からは足音どころか、話し声さえ聞こえてきません。いや、なんの気配さえないのです。
『静かな人たちだなあ。歩き方がよっぽど上手いのか。あるいは丁寧な歩き方をしているのか。それにしてもなかなか追い越してこないな』ちっとも後ろから声をかけてこないので、そのまま歩き続けました。彼らを先に行かそうとわざと立ち止まったりしたにもかかわらず。
 五分ほど行くと道は山の斜面を離れ、左に流れている浄土川のほうにむかう長さ二十メートルくらいのいささか急な下り坂になりました。その坂は拳ほどの石屑で覆われていて、歩きにくそうです。
 私はそこで立ち止まり、うしろのパーティを先行させようかと再び彼らを振りかえりました。きっと彼らは、すぐ背後に迫っているだろう、しかし道が細いので追い越すのを遠慮しているのだと考えたからです。私はそれほどゆっくりと歩いていたのです。
 ところが彼らは、先ほどより距離は縮まったものの、それでもまだ五、六メートルほど後方にいます。相変わらず全員が思いつめたような真剣な表情で、足もとを見つめながら歩いていて、それがなんとも奇妙です。
『まだ、あんなところを、歩いて、いる。・・・おまけになんで、これほどまでに真剣な顔つきで歩いているんだろう』
 というのもこのルートはかなり緩やかな傾斜で、土の登山道が始まってしばらくは路面に岩があったりするものの途中から表面は殆ど平らな道となり、真剣な表情で足もとを見つめて歩かねばならないほどの状況ではないからです。
 しかも眼前には、ここだけからしか見ることのできない光景が広がっている。台地状の室堂平はすでに上方に退き、称名川に深くえぐられたその東の斜面、そこから雷鳥平にむかって波打ちながら下る山襞、その降りた先の雷鳥平、そしてその向こうには別山から大日岳にいたる東西にのびた緑の壁が雷鳥平をおし抱くようにそびえ、登山道がその緑の壁を白く斜めに切りさいている。
 この光景に誰だって眼を奪われはしないか・・・現にオレは初めて見るこの景色に、すっかり見とれてしまいこれまでにないほどゆっくり、ゆっくりと歩いてきた。さらに空はさっきよりも雲がしりぞいて、半分ほどは青空だ。ここは山の影が落ちて薄暗いので、かえって青空がいとおしく感じないか。それなのに誰一人として顔をあげて景色を観るものがいない。
 いやそんなことよりも登山者ならば、前方の登山道の状況を前もって知るために、あるいは前方から人が来ないかを知るためにしょっちゅう顔をあげるだろう。それなのに皆、ずっと俯いて歩いている。思い詰めたような表情で・・・。
『本当に、変なパーティだ』
 ここで待っていようかとも思いましたが、まだ距離があるので、数秒間立ち止まっただけでそのまま進むことにしました。
 
 その急坂に一歩、足を踏みいれると、表面を覆った石屑が音を立てて崩れました。滑らないように気をつけながら下っていきます。
 半分ほども下ったところで、もうそろそろ後ろから石の崩れる音が聞こえて来るはずなんだけどな、と不思議に思いました。ちっともそんな音が聞こえてこないのです。
『おかしいな。よっぽど歩き方が上手いのかな。しかしここではどんなに丁寧に歩いたとしても、音を立てずに歩くことはいくらなんでも不可能だ』
 私は一瞬、立ち止まり、ほんの少し首をまわしましたが、しっかり後ろを振り返ることを何故か躊躇っているようでした。自分でも何故かは判りませんが、どうも後ろを振り返ってはいけないような気がしたのです。この四人はどうも、おかしい。
 私は石の崩れる音がいつ聞こえてくるかと背後に神経を集中しつつ、ふたたび降りていきました。自分が崩す石の音だけを聞きながら。
 やがてその二十メートルほどの坂が終わるといささか広い場所に出ました。あたりはシンと静まりかえっています。ここで彼らを待とうかとも思ったのですが、窪地のようになっているため周りには私の背よりも高く伸びた這松が垣根のように行く手を阻んでいて、何となく閉塞感を感じ、兎に角ここを出ようと考えました。勿論、頭上に遮るものは何もないので空が見えてはいましたが。
 背後からは相変わらず何の音も聞こえてきません。急坂ではあるけれど、躊躇するほどのことはない何処にでもあるような坂です。
 
 這松の垣根に沿って左に折れ、十メートルも行くと出口がありました。そこは両側から延びた這松の枝葉に遮られていて、私は手で顔を覆って突っ込んでいかねばなりませんでした。そしてそのなかを一メートルほど進んだときです、やっと背後の上のほうから石が崩れる音が聞こえてきたのです。
『あ、やっぱり音をたてた』私はニヤリとしました。やっぱりね。いくら歩き方が上手いからといって、この坂を音もなく歩くなんて、ちょっと考えられないことだもの。それにしても彼ら、第一歩までが随分と時間がかかったなあ。 
 すぐに二歩目の音が聞こえてくるぞ。あとは四人が降りきるまで、石の崩れる音がガラガラガラと続く。
 ・・・・・・・。
 ところが、音はそれ一度きりで、ちっとも二歩めの音が聞こえてきません。再び奇妙な静寂があたりを包みました。
 
 その緑の障害は数メートルで終わります。そこを出ると道は二手に分かれて右に直角に曲がっています。ひとつは内回りコース、もう一つはその内回りコースより数メートルほど高いところをまわる外回りコースで、曲がり終えると再び内回りコースと合流します。
 私は外回りコースに入り、岩の上に腰をおろして彼らを待ちました。正面に緑の這松帯とそのむこうで上に伸びている灰色の坂が見え、更にその先は左に曲がり一旦山陰に消えてはいるものの、その奥にすぐに現れた登山道が右手の一の越にまっすぐに向かっています。
 坂にもその上に延びる登山道にも人の姿はありません。先ほどの枝葉の生い茂るなかを通ったときに聞いた音からすれば、彼らの姿は坂の途中に見えるか、もしくは下りきった場所にあるはずです。もし、あの急坂に一歩足を踏み入れただけで引き返したとしても、山陰に隠れている時間はそんなにない筈だからその上に伸びている登山道に彼らの姿があるはずだ。それに引き返せば道は上り坂となり、時間もかかるからちょっとやそっとで見えなくなることもない。いや、そもそも引き返すのなら、誰かが「引き返そう」と言うはずだが、そんな声も聞こえては来なかった。
 さらに・・・ここまで来て引き返すというのもどうにも納得がいかない話だ。私のようにこのルートを歩いてみたい、と考えていたのなら途中で引き返すこともありえるが、それならそれでもっと顔をあげ、頻繁に立ち止まってここからの景色を楽しむだろう。もっとお喋りをするだろう、女性が二人もいるんだから。
 私は煙草を吸いながら、前方を見つめていました。這松のなかから姿を現すか、それとも立山の山腹の登山道を引き返す姿を見るのか。
 全くの静寂のなかで五分経ち、十分が経過しました。しかし四人の姿は何処にもありません。
 
 『きっと降りきったところで休憩しているんだ』
 這松に隠れてその場所は見えませんが、きっとそうに違いない。そう思って、もう彼らを気にすることは止めようと思いました。休んでいたらば、いつ出てくるか見当もつかないからです。
 抜けるような青空、銀白色に輝く雲。緑の這松や草地。爽やかな大気。このまま雷鳥平まで歩いたら、室堂に登り返し、あとは帰るだけ。
 私はザックからゼリーを取りだし、口にしました。
 どこからか羽虫の唸る音が聞こえてきましたが、それもすぐに聞こえなくなり、かえって静寂が深くなったような気がしました。雲がゆっくりと流れていきます。
 
 遠くで女性の笑い声が聞こえました。見ると、左の雷鳥平の方から三人のパーティがこちらに向かって登ってくる姿が目に入りました。彼らはよく立ち止まり、時々大声で会話をしながらゆっくり歩いています。
「道を間違えたあ。本当は小走りを行くつもりだったんだよ」
「えー、そんな道、あるの〜」
「違った。小走りじゃない、大走りだ。がはははは」
 声の様子から、その下らないオヤジギャグから、彼らは中年グループのようでした。
 ちょっとすると今度は正面の上のほうから、賑やかな若々しい声が聞こえてきて、やがて山陰から姿を現しました。高校生らしい男女が混じった八人ほどのパーティです。彼らが急坂にさしかかると、石の崩れる音があたりに響き、それと同時に、「きゃー」とか「うわあ、崩れるぅ」と楽しそうな叫び声をあげました。
 そうだ、この高校生のパーティにさっきの四人組のことを聞いてみよう。中高年の四人組に会わなかったか。
 私は高校生たちが、這松のなかから姿を現すのを待ちました。
 
 ようやく先頭の一人が這松帯から出てきて、彼に続いて次々と高校生たちが姿を現しました。彼らは当然のことながら内回りコースをとるようです。もうすぐ私の下を通る。私はタイミングを見計らって岩から立ちあがりました。
 ところがです。間の悪いことに、雷鳥平から登ってきたさっきの三人組もちょうどこの地点にさしかかり、行きあってしまったのです。(どうしてこんなタイミングが起きるのでしょうか) 私の眼の前、数メートル下で挨拶合戦が始まります。若者の元気のいい声、中年の三人の屈託のない声があたりに響きます。しかもこのふたつのパーティは、ご丁寧なことにお互い一人一人に挨拶をしています。
「こんにちはー」
「こんにちは」
「こんにちはー」
「こんにちは」
 限りがありません。
 私は、すっかり高校生たちに声をかけそびれてしまいました。
 そしてようやくのことで長い挨拶が終わったとき、高校生たちはすでに後ろ姿となっていました。
 あたりはまた、静かになりました。
 ・・・・・・・・・まあ、いいや・・・。彼らを追っかけていって、訊くほどのことでもない、か・・・。
 私はもう四人のパーティのことは考えずカメラを持って、うしろの這松帯をうろつきました。なんでもいい、写真を撮ることに集中できるならば・・・。
 
 突然、「きゃー」という女性の声が響きました。
 驚いて振り返ると、先ほどの三人組が急坂を登っていて、そのなかの女性が滑ったようでした。
「おお、気をつけろよ」男の声が響きます。
「もっとこっちを登ったほうが良いよ」と別の男性の声。
 やがてその坂を登りきった彼らは、山陰に消えていきましたが、しばらくすると上のほうに伸びている登山道に再び姿を現し、一の越に向かっていきました。
 
 私はまた岩に腰かけ、二本目の煙草に火をつけました。
 まあ、いいか。と思ったものの、やはりさっきの四人組が気になり、ついつい思いを巡らしてしまいます。
 四人組は、坂の下で休んでいたわけではなかった。もしそこで休んでいたのならあの高校生たちの元気のいい挨拶が響くはずだし、あの三人組だって挨拶をするだろうからな。とすると、やっぱり坂の上で引き返したのか。
 もしそうなら、彼らはなぜ引き返さねばならなかったのか。このマイナーな登山道を降りて来るくらいだから結構、山に慣れているのではないか。実際、彼らは山登りの恰好が板についていたし、ザックも少しではあるが陽に焼けて色褪せていた。それをあんな坂で引き返すなんて・・・。彼らは雷鳥平に向かっていたのではなかったのか。あんな坂、まったくの初心者でもゆっくり下れば、なんの問題もない坂だ。
 なんとも釈然としない思いでしたが、もう彼らを確認する術はありませんでした。
 二本目のタバコを吸い終わると、ザックを背負いました。もう一度、這松のなかを覗き、あちこちをキョロキョロ見まわしながら、ゆっくりと歩いていきます。しかしどうも集中できない。さっきの四人のことが頭の片隅に引っかかっている。なんとなく、背後から冷たい空気が流れてくるようでした。
 
 灌木に覆われた登山道をようやく抜けると、あとは平坦な草地となりました。ここらあたりまで来ると、カメラを首に提げて被写体を探している人の姿がぽつぽつと現れ、先ほどまでとは雰囲気が、がらりと変わって明るくなりました。
「今日は天気が良くて、気持ちいいですねえ」
 首から提げた一眼レフのカメラを両手でささえながら、初老の男性が話しかけてきました。
「ええ、そうですね。ホント、気持ちが良いです」
 私は彼に笑顔を向けます。
「おかしなパーティさえ見なかったら・・・・」という言葉を飲みこんで。
 
 称名川を渡って、雷鳥平のテン場に入るとそこには黄や青、緑のテントがいくつも設営されていてなんとなく華やいだ雰囲気でした。しかし、人の姿がまったくありません。外にしつらえられたテーブルのうえでコッヘルを乗せたガスバーナーがひとつ、ゴーッと音を立てています。なんとも奇妙な光景で一瞬、たじろいでしまいましたがちょっとするとテントから男性がひとり出てきて、コッヘルのなかの様子を窺いました。その姿に、ホッとしました。
 雷鳥平から室堂平へは結構きつい登りになります。コンクリートで階段状に固められた道が、酷く歩きにくい登りです。地獄谷を見物してきた観光客が駅にもどるためこの道を登っていきますが、そのほとんどがこの登りに音をあげ、途中で休んでいます。そんな彼らを横目に見ながら歩き続け、ようやく室堂平まであがってきました。
 観光客たちが弁当をひろげたり、周囲の山岳風景に歓声をあげたりしているなか、空いているベンチを見つけ、腰をおろしました。
 水を飲み、ようやく一息いれると景色を眺めます。ふうっ。
 ・・・・・・・・。
 一体、さっきの出来事をどう考えたら良いんだろう。頭を空っぽにして景色を眺めていたつもりだったのに、またしてもあのパーティのことが浮かんできてしまいます。
 どうも納得がいかんなあ。もちろん四人全員が発声に障害を持った人たちだったということも考えられないわけではない。それなら声は聞こえては来ないだろうし、少し離れている人間に対して挨拶をしないかも知れない。しかし、ここは山だ。下界とは違うのだ。もしなんか不測の事態があったときに備えて、誰か簡単に他人とコミュニケーションがとれる(つまり話すことのできる)人を、少なくとも一人はパーティに入れるだろう。以前、北アルプスで見かけた二人連れのパーティは、男性が手話をし、それに対して女性のほうももちろん手話でかえしたが同時に普通に声も出していた。それが当然のことだろう。さすがに四人組のパーティ全員が、なんてことは、ちょっと考えられないことだ。
 いや、なによりも彼らのあの表情だ。あの表情をどう考えたらいいのだろう。
 あんなに思いつめたような顔をして、俯いて歩き続けるなんて・・・しかも四人が四人ともだ。誰一人として顔を上げてこちらを見ようとする者はいなかった。誰一人として景色を見るものはなかった。
・・・・・なんとも・・・不思議だ・・・・。
 
「ねえ、ねえ。写真撮ろう、写真」若い女性の弾んだ声が響きました。
 見れば隣のベンチに、観光の若いカップルがデイパックをおろしながら、休憩をしようとしています。
「ちょっと、待って。そのまえに水、飲ませてよ」男のほうがデイパックに手を入れ、なかからペットボトルを取りだしました。
 
『さっきからずっと、オレはあのパーティのことばかり考えているなあ』
 やめた。もったいない。折角、こんな良いところにいるのに、さっきの変なパーティのことばかりに気をとられているなんて、何とも馬鹿々々しいことではないか。なによりも腹が減った。小屋で食事をとるか。
 私は立ちあがり、ザックを背負うと小屋にむかいました。カレーにしようか、それともラーメンにするか。四人組のことよりも、こっちのほうがよほど切実で、楽しい悩みでした。腹がぐう、ぐうと鳴る身にとっては。
 
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4.二人づれ
 
「おお、こんなところを歩いている人がいる」
 山のなかに作られた道路を、ゆっくりと歩いている二人の女性を見て、私は思わず声をあげました。
「ホントだぁ」
 助手席に座った友人も同じ思いのようでした。
 もうすぐ亀石峠に着くというころで実際、五分足らずのうちにそこの料金所についてしまったのでした。
 亀石峠というのは、伊豆半島の東側にある伊東市と西側の沼津方面をつなぐ道路の途中にある峠で、四百七十メートル余りの標高があります。今でこそ通行料は無料となりましたが、およそ二十年前にはまだ料金を徴収していたのでした。
 この話はそんな頃の話、およそ二十年前の五月半ばごろに出あった奇妙な出来事なのです。登山中に、というわけではないですが、山のなかで体験した話です。
 
 五月半ばのある日曜日、私は女友だちと伊東にドライブに出かけました。
 爽やかに晴れあがった日でした。
 三島からいったん国道を南下し、大仁(おおひと)というところから山道に入ると、直線の多い緩やかな道を亀石峠に登っていきます。亀石峠は伊豆半島の付け根あたり、かなり東寄りに位置している峠で、そこまで登ると向こうに東伊豆の海が広がり、そして今度はその海を見ながら曲がりくねった道を伊東に下っていきます。
 伊東に何時ごろに着いたのか、着いてからどこへ行ったのかはまるで憶えがありませんが、帰途についたのはたしか三時か、三時半ころだったと思います。
 伊東から道路はすぐに登り坂となり、やがて人家も途絶え、山のなかを二十分も登ったころでしょうか−−−あたりは背がそれほど高くない樹木で覆われた山肌となり、そのなかを縫うように道が通っています−−−道路の左側を、峠にむかって歩いている女性の二人づれの後ろ姿が眼に入りました。
 向かって左側には黒いトレーナーを着た、身長が百七十センチくらいはありそうな背の高い女性が、そしてその右隣にはクリーム色のポロシャツを着た女性が歩いていました。右側の女性は背が低く、百五十センチそこそこといった感じで、ノッポとチビの二人づれ、二人ともジーンズをはいています。ザックやショルダーバッグのようなものは見えないので、どうも空身のようでした。
 この亀石峠は、伊豆半島を東西に横断する道路と南北に走る道路が交差している地点のため、伊豆半島をドライブをするとなるとここを通ることは決して珍しいことではなく、過去に何度もこのあたりを走ったことがありましたが、こんな所を歩いている人など一度として見かけたことはなかったので、少なからず驚いてしまったのでした。
「こんな所を歩いている人がいる」
 本当に珍しい光景でした。
 助手席の彼女もこのあたりの事情を知っていたからこそ、「ホントだぁ」と答えたのでしょう。
 
 しかし、それは珍しいということ以外になんの意味もなく、それ以上の注意を引かれることもなく、とくに気にもせず彼女たちを追い越して行きました。追い越してしまうと、五分もたたないうちに料金所に着いてしまい、登り坂もようやく終わりとなりました。
 料金所から道は下りとなり、すぐにカーブを描きながらほぼ九十度、左に曲がります。私はハンドルをちょいと左にまわし、カーブに入っていきました。そしてそのカーブのなかほどまで来たときです。
 また、道路の左側を我々と同じように下る女性の二人づれが歩いていたのです。
「おい、また歩いている人がいるよ」
「うん、珍しいねえ」
 もちろんなんの躊躇いもなく追い越していきます。そして、彼女たちを追い越してから、
「わっ」
 私は危うく急ブレーキを踏みそうになりました。
 この二人づれ、左側の女性は背が高く、黒いトレーナーを着ていました。右側の女性はクリーム色のポロシャツを着て、背の低い女性でした。
 私は車を止めようと思ったのですが、ルームミラーを見ると後ろには数台の車が続いていて、しかも下りのカーブです。片側一車線の広くもない道路で、対向車も走っています。さすがにここでブレーキを踏むわけにも行かず、そのまま通りすぎていきました。
「今の二人、さっきの女性たちじゃないか」
「そう?気がつかなかったけど・・・」
「いや、さっきの二人だよ」
「でも、さっきの二人がここにいる筈、ないじゃん」
 彼女の言うとおりでした。いくら料金所で止まったとはいえ、その時間なんてたかが知れています。そのすきに徒歩の彼女たちが料金所まで登って来、我々の車を追い抜き、さらに先のカーブを歩いているなんて・・・・あり得ないことです。
 オレの勘違いか・・・。
 そう思って、もう彼女たちのことは忘れました。
 
 あたりはだんだんと薄暗くなってきましたが、青空がまだかすかに残っていました。左が山側となった街灯のない道を、一日の疲れのためか、それとも夕暮れどきのせいか、我々は時々話をし、時々は黙りながら、走り続けています。後続の車は皆、途中の直線で我々を追い越していってしまい、前にも後ろにも他の車は走っていませんでした。
 そして数十分も下ったころ、道は再び直線に入りました。道路は一直線にずっと前方に伸び、その先が右に曲がっています。車のライトはまだつけていませんでした。薄暗くはなっていたのですが、ライトを点けなくともまだ充分だったのです。
 その時ふと、かなり前方に、今度は道路の右側を歩いている数人の人たちに気がつきました。
「あ、あそこに下っていく人がいる」私は隣の彼女に声をかけます。
「ホントだねえ」
「なんだろう。なんかハイキングの大会でもあったのかなあ」
「そうだねえ。この辺を歩いているなんて珍しいもんねえ」
「今晩は大仁の温泉にでも泊まるのかもね」
 車はぐんぐん、その人たちに近づいていきます。
 ところが、我々はこの人たちが下っているものだとばかり考えてたのですが、それはとんでもない間違いでした。彼らは登っていたのです。
「おい、違うよ。登っていくんだ。こんな時間に登っていくぞ」
「えーっ、ホントだ。どうするんだろう。いまから伊東まで歩いて行くのかなあ」
「そんなわけ、ないだろう。いくらなんでも」
「そうだよねえ」
 亀石峠どころか伊東におりるまで、途中に店はおろか人家さえも一軒もないこの山道を、今から登っていく・・・。
 我々は、黙りました。
 ・・・・・・・・・。
 ようやく彼らの様子がはっきりと見えてきました。二人の女性が前を歩き、その後方に一人の男が歩いています。右側の女性は背が高く黒っぽい服装をしています。左側の女性は背の低い女性で、クリーム色の服でした。どんな服なのか、までは判りません。二人は俯いて歩いていたため、この薄暗がりのなかでは、顔が影になってよく見えていません。そして今までと違って、彼女たちのうしろ一メートルくらいのところを野球帽を目深にかぶった男が、これもうつむき加減で歩いています。陰鬱、というほどの雰囲気ではなかったのですが、しかし溌剌としたところは微塵も感じられず、ただただひっそりと歩いていました。
 迂闊なことに、この時まだ私は気づいていませんでした、この二人の女性のことに。
 そして彼女たちとまさに擦れちがうという時です。私は心のなかで声をあげました。
『あっ、さっきの二人づれだ』
 と、その瞬間。
 それまで無表情で二人の後ろを歩いていた男が、うつむき加減の顔をそのままに口元だけを醜く歪め、ニヤリと嗤ったのです。目深にかぶった野球帽のひさしのせいで眼のあたりは見えませんでしたが、口元から白い歯が覗きました。それは、なんとも厭な『嗤い』、でした。
『えっ、あいつ何故、嗤ったんだ・・・』
 車は彼らの横を通りすぎました。
 一旦、視線を前方にうつして安全を確認してから、すでに後方へと去っていった彼らの様子を見ようと、私はルームミラーを覗きます。しかしそこには、この薄暗がりのなかで判然としない三人の姿がすでに黒い塊りとなって映っているだけでした。
 車は右カーブに入りました。下の方に人家が見えだし、街灯なのかそれとも家の灯りなのか、ポツリポツリと灯りがともっています。それを見て、私も車のライトを点けました。
 
 やがて国道に入ると、あたりはすっかり夜の闇に包まれていましたが、国道の両脇に立ち並ぶ街灯や店のイルミネーションに照らされて、さきほどより明るいくらいでした。
「なあ、さっき登っていった人たちがいたろう」
「うん」
「あれ、最初に見た二人づれじゃなかったか」
「えーっ。判んなかったなあ。でも、そんなのあり得ないことじゃないの」
「そうだよなあ・・・」
「それより、夕飯、どこで食べようか」
 幽霊かとも思いましたが、そもそも幽霊というのは夜や天気の悪い日に出るもんじゃないか。こんな五月晴れの爽やかな一日に、出るわけがない。第一、怖さはまるで感じなかったし。彼女の脳天気な受け答えがそれを証明している。ただの偶然だ。
 私はそういうことにして、この出来事をすっかり忘れたのでした。
 
 それから何年もたった頃、ある人と仕事で一緒になりました。彼は伊東に住んでいましたが、専門学校が沼津にあったため、そして就職先もこっちだったので十年以上も毎日、車でこの道を往復しているという男でした。
 そんな彼の素性を知り、ふと思いついてこの話をしてみました。
 すると彼は、
「あんなとこ、歩いているやつなんて、いないよ。見たことがない」
 と言いました。
 私は彼の話にちょっと疑問を感じ、
「それは、亀石を通るのがいつも平日の朝と夕方だからじゃないのか」
「そんなこと、ないよ。休みの日だって、しょっちゅう友だちと遊ぶためにこっちへ来ていたし、色んな時間帯を通ってるよ。それに突然、呼び出し電話もかかってくるしね、勝手な時間に。学生時代も社会人になってからも。でもあそこを歩いている人なんて、一度も見たことがない」
 う〜ん、私は唸りました。
 そしてこのやり取りを聞いていた男が、横から口を挟んできました。
 彼はバイクが趣味で、ツーリングクラブにも所属している人でした。
「オレもクラブであのあたりはしょっちゅう走っているけど、歩いている人なんて、見たことないよ」
 う〜ん、私はまたもや唸ってしまいました。
 さらに別の機会にもう一人、彼女はこっちに住んでいるのですが実家が伊東にあるため、もう二十年ちかくも月のうち二、三回は伊東に帰っているという女性です。
 彼女も私の話に首をかしげ、
「あそこで、歩いている人を、ねえ。見たことないなあ」
 前の二人と同じことを言います。
 う〜ん、やっぱり私は唸らざるを得ませんでした。
 
 普段、まず人が歩いたりしないところをその日に限って偶々、歩いている人が三組も、いた。そのいずれもが女性の二人づれであり、同じような背格好で、同じような服装をしていた。しかも三組とも、バッグさえ持たずに。そして彼女たちはいずれも左側通行をし、背の高い方はいつも道の端を歩いていた・・・。
 これらがすべて偶然に起こった、とするならそれでもいい。
 では、あの男はなんだろう。何故最後に男が出てきたんだろうか。しかも私が二人の女性のことに気づいた瞬間、彼は嗤った。まるでこちらの考えていることが判ったかのように・・・。
 いや、判ったということだけではない。彼が嗤ったのはきっと、私の考えたことが・・・・。
 
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